他人の目と評価ばかり気にしていた中身のない恐怖の生活
私はいつから他人の目を気にして生きてきてしまったのでしょうか?
小学生は本当にしたいがまましたいように生きて他人を煽り、いいたいことをいって楽しい日々でした。その反面友人からは嫌がられ、ウザがられ、中学ではいじめや辛い学校生活を送りました。
その頃から『自分の振舞いたいようにしてはダメなんだ!嫌われるんだ』と自分の心を殺し、他人に合わせる八方美人=中身スカスカの自分が誕生することになります。
中学生の半ば頃に『自分が変わらなければ』と漠然とだが確かにそう確信して過ごしていました。
しかし、当時はインターネットがようやく誕生したころで情報が全くありません、90年代のアナログのTVや漫画が唯一の人生のバイブルで、家庭環境やネグレクト、そんな言葉も知る由もありませんでした。
何のスキルもないまま、辛いまま中学時代を卒業し『いじめは怖い、人は怖い』とビクビクしたような人間になり強制的高校生へとなりました。
幸い、学力は並程度あったので中学の殺伐とした環境が嘘のように高校生活はまだマシで嫌らしい人はいましたがまだ精神的に楽な時間を過ごせました。
しかし、私の精神は将来や仕事のこと人や自分に虚しさを感じていたため、精神は限界に来ていました。
無理に他人に合わせすぎて精神の糸が切れる
親も周りもそして自分自身も誰も自分のことを肯定してくれないので疑心暗鬼のまま母親にいわれるがままボーダーフリーの私立大学へ進学することとなります。
私はまだジャニーズやヤンキーのような(容姿だけ)綺麗な女性と付き合えるチャラチャラした男がモテるんだレベルが高いんだと、本当の私はアニメやゲームといったサブカルが心から好きなのにそれを否定しながらホストのような同期と無理をして一緒にいるようになりました。
結果としてそのホスト系の同期からは毎日激しいいじり行為を受けてついに私の精神の糸は切れてしまいます。ここから約15年近くは地獄の中で生きることになります。
毎日自分の心を殺し他人に合わせ続けた結果私の精神はおかしくなり、自分の心の声さえもわからない言葉に出すことができない、究極の苦しみの時間が誕生します。
私が自分を心から肯定できるようになった過程は記していく予定ですが
今私は小学生のあの頃のようにどんな自分でも、どんな形でも、どんなことが好きでもそれを受け入れられ、それを評価してくれる人がいることを知ったので
表と裏の自分を肯定する=心の底から自分を支えられる状態
を手に入れました。
よくある表現に一周回って○○を好きになる、こんな感じです。
一周回らないと「納得」できないといった方が私の性格では正しいと思います。
あえて伝えたいのですがまだ私は潰れていますが自分を受け入れることで
このようなメリットと他人に良く思われ、かつ本当の自分自身になる状態を手にすることができます。また孤独でもそれを楽しむことが可能になります。
今後に続きます。