強烈ないじり行為で精神解離することに、その後いじめっ子の末路
筆者の地域は全国でも部落差別が一番悪い地域とされていて、実際人の心に思いやりがないと感じることがとても多く、そんな地域性の貧しい地域で育ちました。
人自身に恐怖を感じ、幼少から「どうしたらいじめられないか?」ばかりを心配し過ごした結果、それがいじめっ子に目を付けられる形となり、一切争わず自分の心を抑えつけた結果、地獄を見ることになりました。
誰とも争いたくなかった
筆者は家庭環境が悪く、当時はこれが普通だと思いながら過ごしていました、父親がアルペルガー、自己愛人格障害的な傾向をもち、子供や奥さん家族より何より大切なのは自分の利益と金、父親は心ないことを平気で口にして振舞っていました。
そんな幼少時を凄しとにかく人が恐いという恐怖を常に感じながら(心理用語のサバイバー)辛いだけの学校生活を送りました。
無理やり学校へ行かされたため、『自分が苦しい』ことをすることが自分の為ととんでもない考えをしていた結果、自分とは正反対のジャ〇ーズ系のいわゆるホストやパリピといった人を笑いものにして愉しむ人といることになりました。
彼らは見た目が良く、実際に女性からアプローチされることも多くありました。
しかし実際の所は強烈ないじり行為(今でいうマウント行為、パワハラ)が凄まじく、おとなしい私は毎日強烈ないじり行為を受け精神に限界が来ていてもそれに耐えるしかない日々を過ごしました。
ある日精神の糸が切れる
ある日彼のいじりと何気ない裏切りから我慢の限界がきてしまい、心の中の精神の糸が切れてしまいました。
家族の理解も得られず、その後精神科では社会では受け入れられない診断を受け、そこから15年以上、現在も続く地獄の生活が続くことになります。
その生き方はそれはもう火だるまや地獄といった言葉では言い表せない、辛さや恨みだけに覆われた毎日です。
いじめっ子はどうなった?悲惨な末路
いじめっ子はその後どうなったのでしょうか?
彼は私の精神の糸が切れ、おかしくなってしまうと何事もなかったかのように私から離れていき、学校生活を送っていました。
自分がいじり(め)で人を狂わせたにも関わらず、何ともないように彼は過ごしていて、私の中には15年以上たった今もなくならない、相当な恨みや憎悪が溜まっていました。
学校を卒業してから見た目の良かった彼はすぐに逃げるように結婚、私のことなど忘れて子供も産まれました。
しかし…
私が突然ラジオを付けたときニュースが入ってきました、彼の名前と共に彼は交通事故を起こして相手の命を奪ってしまいました。
大分時間が経ってから交通事故に関する行政・民事・刑事責任について調べることになりますが、子供が産まれた直後彼はこのような事件を起こしてしまったのです。
当時頭が壊れてしまっていた自分はわかりませんでしたがこれが『因果応報』だと自分のご先祖様が仇討ちをしてれたのではないかと思わざるを得ませんでした。
どうなったかはわかりませんが結婚直後にこのような事故を起こし、普段通りの生活は難しかったのではないかと思います。
彼は実家から逃げるように出て行ったようです。
彼は私の人生を奪ったことでその地から一生出られないだけでなく、交通手段も絶ってしまった。
彼が免許を再取得しているのか?命を奪ったことで私に対する人の痛みを感じているのか?
それとも人の痛みなど何とも思わず『なんで俺がこんな目に』と思っているのかはわかりません。
このようなことがありました、彼は恐らく一生私に謝らないでしょう
だからこそ早い段階で、このような因果応報があたったと自分が彼に報復しないように神が帳尻を合わせてくれたのだと思っています。
いじめは必ずに自分に跳ね返る