いい人八方美人で過ごし続けた人間の末路【実体験】~前編~

体験談
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「素直でいい子になれ」

母親から子供への将来の願いで伝えられた数少ない言葉でした。

人の汚さを知っている母親の純粋な願いだったのだと思いますし、学校からは「みんなとなかよく」などと誰も反論できないような正しい教えを解かれ

〘素直でいい子〙で〘みんなと仲良く〙

することが正しいことなんだ、素晴らしい教えなんだと心の底から思って誰に対しても素直で優しく接するように努めて生きてきました。

子供ころは仲の良い同級生と遊ぶのが楽しく、自分のしたいように振る舞っていました。

しかし、いつしか周りから嫌われるようになり、中学生になったころには本格的に迫害や村八分のような扱いを受けるようになりました。

父親もあの新幹線無差別殺傷事件の容疑者である小島一郎くんのインタビューに答えた無関心、他人事のような態度の父親、彼と全く同じようなタイプの父親でした。

具体的には自己愛性人格障害とアスペルガー症候群を複合させた人間です。

いじめで心はズタズタに傷つき、心は殺されて何も感じなくなり、母親に「学校に行きたくない!」といっても

「義務教育」だからの一言で私は学校に行き続けました。

死んだ心

臭いや気持ち悪い、履物を隠されたりと周りからは嫌われ、そして「素直でいい子に、みんなと仲良く」の理念が間違ってるとも思えず

心は傷つき死んでしまっても平気なふりとニコニコしながら地獄のような学生時代を過ごしました。

高校生に進学した頃、やはりまだ対人恐怖症的な所もあり同じように嫌らしい人や教師もいましたが、中学の頃と比べていじめが少ない、居心地が良いと感じたのは今も忘れません。

余談ですが「中学の動物園問題」と高校受験による人を振るいにかけた結果、中学生の頃の粗悪な人と離れられたことが大きかったと思います。

高校を卒業する頃には精神は擦り切れながらも逃げ道がなく、また将来こんな心ない人たちと職場で仕事をするなんて考えることもできず

良く子供のことも知らない母親から「あんたはパソコンが得意だから」と

県内にあるボーダーフリーの私立大学へ通うことになります。

そこの人間関係は中学生の頃のように荒んだ人が多く、授業をまともに受けないような人たちが多くいました

その中でジャニーズグループのようなホスト系の同級生がおり、私は自分を変えるためだとオタクそのものにも関わらず彼と彼の不良グループの中でいるようになりました。

周りからは奇異の目で見られ、次第にホスト系の彼からいじめという激しいいじり行為にあい、大学二年生の終わり頃に精神の糸が切れてしましいました

それからいじめにあった八方美人になり感情を抑圧し続けた怒りや恨み、自分の中にあるありとあらゆるネガティブな感情だけが私の頭の中に残り、楽しいや嬉しいといった気持ちを全く感じることが出来なくなりました。