復讐は「心の弱い人」のすること?いじめを永遠に我慢しなければいけないのか?
ある日こんなツイートが流れてきました
バズっていた「弱い人は復讐する」のアインシュタインの格言とされるもの、Google上の初出は2001年1月。とある引用句サイトに典拠なしに掲載され、数日で多数の名言サイトに複製された。近年はインスタとPinterest中心
たまに仏陀の言葉として紹介されてもいる。偽名言では少数派の、元ネタがないやつ
— 堀 正岳(ほりまさたけ)@ めほり (@mehori) July 30, 2022
『心の弱い人は復讐する』といった内容です
アインシュタインの格言とされているものですが結局はデマだったようですが…
仕返し(復讐)は本当に悪いことなのでしょうか?体験談を元に述べたいと思います。
法に則った仕返しは『早いうち』にした方がいい
私はある日を境に争うことは虚しいことだと感じ、悪口や影口、一切のネガティブな事柄から避けて我慢するようになりました。
特に中学生の頃はひどく、自宅に複数人の同級生がいたずら電話をかけてそれを対応した父親の発言をネタに2年以上悪口やからかいの対象になったことがあります。
私は特に根に持つタイプで、この地獄のような中学生自体が早く過ぎてくれ、自信も何も失い、大人になってもこんな地獄がずっと続くのかと絶望していました。
これだけではなく、中学生時代に関わりたくもないのに誹謗中傷や嫌がらせをニコニコしてきた猿顔の同級生や大人になっても敬語も使えない粗暴な男、結局、不当に扱われた恨みや憎しみだけが大人になっても残りました。
中学生の頃はいじめに立ち向かってもっとひどいいじめにあったらどうしよう、人やさらにひどいいじめにあうかもしれない恐怖の方が強く、嫌われ耐えるしかありませんでした。
大人になってからの復讐、しかし恨みは消えない、危ういことも
大人になってからいじめの延長で自分を殺した結果、色々なものを失い残ったものはネガティブな怒りや恨みや憎しみといった感情だけでした。
20年以上経ってもモヤモヤとした不当に扱った人への憎しみはなくなりません
結局私は『復讐はいけない』という大義名分のもと自分の本心を抑えつけ、自分も人生そのものも意味のないものにしてしまいました。
私はいじめや不当に扱った相手への報復でかつ法に触れない範囲で行動に移しました
でした。
電話をかけられる相手には電話を、Facebookやlineでメールを送れる相手にはメールで、どちらも行えない場合は手紙を送ることにしました。
6人程度にそれを実行しましたが、謝ってくれた人が4人、はぐらかすor無視が2人程度でした。
行動した・謝ってくれた結果やはり『スッと』した、心のつかえはとれた
思いのほか、謝ってくれた人が多かったですが、私は20年以上我慢し、こちらからアプローチをかけて一度だけ謝ってくれただけで、私のこのモヤモヤを抱え続けた時間はなんだったのか?
『復讐をしてはいけない』という心に反した正しさよりも『し返したい!』という本音に素直になっていればこんな思いをしなかったのが本当の所です。
私は親も心の支えにはなってくれませんでした、母親からは『すなおでいい子になれ』と願いを託された結果大人になっても自己愛にターゲットにされ利用されるような大人になってしまいました。
やはり早い段階で『仕返し』はした方がいい、仕返しをせずに幸せになれる方が素晴らしいというが、そもそも幸せになれないから苦しいのに自分に溜まったネガティブな要素を晴らしてなぜ
『弱い人がすること』
といわれなければならないのか?仕返しをしてマイナスからゼロに近づけることも大切ではないだろうか?
報復せずに幸せになるには親からの愛情や人に価値を与えられるだけの技術、色んな要素が必要になってくると思います。
その所も考えてほしいと願うばかりです。
『人生はプラスマイナスゼロだ』っていう奴は『決まってプラスの奴』なんだ