日本人は「いじめ」が大好きな国民?
日本人はいじめが大好きな国民性でしょうか?
どう思われますか?
- だれだれが○○といった、不適切発言だ!
- みんなで袋叩きにしなければ!
- 炎上!
- 懲戒解雇!
こういったニュースも日常茶飯事になっていますね。
毎日もてはやされている人もある日ふとしたことでこれまでのファンが手のひらを返したようにアンチになり誹謗中傷や嫌がらせの嵐、そして最終的には自〇へ追い込むことも少なくありません。
日本で生きている以上他人の目にビクビクしながらいつ自分がターゲットにならないかおびえながら暮らさなければならないのでしょうか?
「みんなといっしょ」に潜む同調圧力と罠
私はよく公務関係の役所やハローワークに行ったとき疑問思うことがありました。
言葉遣い「だけ」は丁寧そうに見えるのに全く役に立たない
偉そうだったり、冷たく、手を差し伸べようとしなかったり
そんな経験は皆さんにありませんか?
私が思うのは元々日本人《人間》は自己中心的な生き物で、島国根性、和から離れず同じにしなければならないのにも関わらず「清廉潔白」でなければいけない。
心の核の部分が黒く汚いのに表面上だけを綺麗にコーティング(清廉潔白)して
「私たちはお国の為人様の為に奉仕してますよ」
と言葉遣い「だけ」は丁寧にして実際の対応は心の核の汚い部分を現して本当に助けが必要な人に理由もなく冷たくしている。
私はそう感じます。
いじめと公務関係者の冷たさのは通じているのでは??
これも「いじめ」に通じる部分があると私は考えていて、元々人は汚く自分勝手な生き物なのに上っ面だけ「私は何一つ汚れていない綺麗な人ですよ」と表面だけをコーティングして偽っている、本来はいじめが大好きな生き物だと思うのです。
【滅私奉公】という言葉があるように己を抑えてお国の為に人様の為に奉仕しなさい、みんなと一緒にしなさいと本来の個性や気持ちを抑えつけた結果、このような陰湿ないじめが蔓延する凶悪な社会になっているのではないでしょうか?
自分の気持ちを抑えず、他人に頼らない(期待しない)あくまで公的な支援を求める為に割り切る、頼り切ることで、自分が利用されたり裏切られないようにしなければいけない時代に来ているのだと思います。
喜びや楽しみを共有できるのも《理解のある人》とのみ分かち合える、人の喜びが気に入らない妬む人もいるこの社会でまずは【みんなと仲良く】という《悪人とも仲良くしなければならない》という無理難題を手放す必要があると思います。
自分にとっての味方は誰かの敵でありその敵は誰かの味方でもあります。
何かひとつが正しい《正義マン》ではなく建前やルールというしがらみや洗脳から苦しみを発生させているのであれば真に自分の身は自分で守らなければいけない時が来ているのだと思います。