元いじめられっ子の【実話・体験談】
ここで記すいじめられっ子とは私のことです。
学生時代いじめに合い続けた結果、どんな末路が待っていたのか記したいと思います。
小学生時代
とても自由奔放な子供でとても楽しい学校生活を送りました、しかし、高学年から同級生に嫌われ始めなぜ自分が嫌われているかその理由がわかりませんでした。
中学生時代
地獄の3年間でした、この時の特定の同級生らに対する憎悪は今でも残っています。嫌われる理由がわからず、「私がいる」というだけで嫌われる、場が静まる、親に学校に行きたくないと懇願しても「義務教育だから」という言葉だけで無理やり学校へ行かされる。
私のような価値のない大人しい人物よりも、人を人とも思わない凶悪な奴もいたがそいつらには誰も注意しない、また「嫌われているから悪い」「嫌われているから嫌う」といった迫害や差別を一心に受け、自分が変わらないとと思い始めるがインターネットがない時代情報が少なく心を病み始める。
高校生時代
幸いにも学力は並程度あった為、あからさまな差別やいじめはなく、こんなに平和な環境なのかと驚いた記憶がある。しかしいじめられっ子気質は変わらず、女とやりたいだけのヤリチンのTには集合写真で頬をつねられたまま写真を撮られる、話しかけてもわかっていて無視される。
Sには口に含んだジュースの氷を飛ばされ当てられるなどの行為を受ける。
自分について、人生や何もかもに悩んでいた自分に教師のTには「君に悩みなんてあるの?」といわれる。
大学生時代
心は悲鳴をあげ限界を超えていたが、親に従わなければいけないという気持ちから、無理やりBF私立大学へ入学、中学時代のような程度の低い環境に嫌々行き、自分が変わる為、限界に来ていたのに運動部やジャ〇ーズ系の同期と無理に付き合うことで黙っていわれるがままに身を置き、いじめに合い精神の糸が切れてしまう。
大学卒業後
大学3年に上がる頃に精神の糸が切れ精神科へ入院・通院するが、親からはまだ「おまえはまともでない」「お前は病気なんよ」と言われ、希死念慮を抱え死とスレスレの状態で生きる。
その数年後、自己愛・アスペルガー傾向のある父親(当時は病名もわからなかった)を毎日問い詰めた結果、ある日家族を捨てて蒸発する。
ナンパまがいなことや飲食店などの店長に気に入ってもらい働かせてもらうが精神障害により続けられず辞める、中には奴隷のように扱う自己愛経営者やからかいの対象にする程度の低い大学生(報復済み)も
現在
毎日悩み苦しみながらこのブログを含むこれまでの体験記を書き、自宅でアドセンスなどの広告収入を得て一応収入を得ている状態を作り過ごしている。(納税もしている)
中学や高校・大学、その他差別をしていた個別の人間に対しては直接電話やfacebookメッセンジャーを通して謝らせる(ヤリチンのTには母親の前で晒し謝らせる)中には勤務先の口コミに名指しに近い形で差別やいじめを受けたことを書き込む
などした、現在、国立大学の心理相談を受けているが「良く、生きていましたね」といわれる。
これまでに母親との衝突、自分と社会との軋轢や塞ぎ込み利用され、凄まじい苦しみと共に生きているが
自己犠牲は何も生まない、それに伴う優しさは一切不要、全てに勝利し自分の経済的・精神的な利益を自ら作り出すことでしか救われないとようやく気付く
これまで長い間、母が望んだ『人に優しく』『すなおでいい子』を馬鹿正直に貫いた結果がこのような人生を送る結果となりました。
法に触れない範囲で報復し憎悪はかなり減ったがまだ完全ではない、だが学校が「みんなと仲良く」などとデタラメを教え、それを素直に守った子供たちが心を病んで、引きこもりや自〇しても誰も助けてくれない
『性格の悪い奴』は最初からそれが分かっているから、学校生活では勝ち組の立場でいられる。そう思う。
私は許さない