私はまあまあな田舎で生まれ中学生時代に集団いじめに合いました。
無視や臭い気持ち悪いは当たり前、公平さより「誰が」何をしたかで善悪が決まり、文字通り袋叩き迫害村八分をこの頃に人生が取り返しのつかないレベルの体験をさせて頂きました。
彼ら彼女らからは歯に物着せぬ純粋な悪意や嫌悪感、村八分行為はそれが相手の心をいとも簡単に〇す行為でも彼ら彼女らにとっては周りとの結束を強める当たり前の行為なのです。
私はそれからずっといじめや田舎の腐った狂った風習に疑問と悩みを抱えながら生きてきました。
毎日田舎の狂った所を調べる内にほんの一言の文章ですが素晴らしい解答だと思いました。
田舎の人は〇〇にしか責任を感じない
この一言が都会と田舎の全てを言い表しているといっても過言ではないと思います。
まず都会は「人」に対して責任を感じているのでルールやマナー、法律に関することは徹底してアウトそれが当たり前の認識になっているので必要以上に人に干渉しないし、人々が当たり前に守っていることなのでモラルの水準が高く住みやすいだけでなく精神的な足かせがないのでより高度な文化が育まれ経済的にもどんどん豊かなものになっていく。
反面「田舎」は「仲間」にだけ責任を感じる、これこそ村八分の本質を物語っているといえます。
「仲間」にだけ責任を感じることでどんなことでも「皆と仲良く」「皆と一緒」の凄まじい同調圧力が生まれ
少しでも輪から外れたものは袋叩きにあいハブられ村八分にされる
そして加害者たちは「仲間にだけ」心地よい雰囲気を提供し責任を感じれば良いのでそれで相手がタヒのうが病もうがどうなろうが、自分がターゲットになるまでその痛みを知る必要がないのです。
そして悪質な不法投棄や交通ルールの無視をしても「仲間にだけ」責任を感じればいいのだから、村八分にされなければルールなど守らなくてもバレなければいい
そう思って幅を利かせる害悪が田舎では有利でそれを異常と感じたまともな若者はどんどん「まとも」な環境の都会へ出ていく
地方衰退は自業自得といわれますがまさしくこのような理由が強く影響していると思います。
田舎で自分らしく生きるには隠遁しかないと誰かがいっていましたがその通りだと思います。