大学時代の半ば、ついにいい人、八方美人で居続け我慢の限界を超えた結果、精神の糸が切れてしまいました。
発症してそこからは両親への怒りが吹き出してしまい、毎日毎日父親を袋叩きにする、何度○っても責めても止むことのない怒り
現在父親は今から7年ほど前に蒸発してしまい音信不通になっています。
最初は父親の方も精神の糸が切れた私を否定していました、一人で精神科へ通院していても
「お前とおったら気が狂う」
「お前は自分のことまともと思っとんか?」
話の中では「お前を産んだことは仕方がない」と言われました
子供を愛している親ならきっとこういった言葉は出てこないのでしょう、
しかし、親から洗脳されていた私は口だけでお前を愛しているという矛盾に騙されていたことに気が付きませんでした。
精神科の診断書には統○失調症と人格障害の診断を受け「地獄のような」ではなく地獄そのものの毎日を生きてきました。
社会性もスキルもない、親からは否定され続ける、こんな厳しい思いをしなけるばいけないのか、このなくなる気配すらない苦しみはいつ終わるのか
その思いばかり抱えて生きていました
その地獄の生活を支えてくれたのは今は世界的人気のRPGゲームです。
精神の糸が切れてからも地獄
年金手帳はなぜか母親に金庫に隠され、私は少しでも幸せになりたかったこともあり、市内の方へ知らない人とコミュニケーションを取るため毎日のように一人公共機関を使い市内へボロボロの状態のまま赴きました。
詳細は省きますが二人の女性と出かけられるようになり刹那幸せな時間を過ごせました、しかし、収入も社会性もない自分は別れの際ストー○ーのようになり
余計心身の状態を著しく崩してしまうことになります。
その途中で自己愛性人格障害の男と出会ってしまい、その男が経営する会社で日雇いバイトをし、また最低賃金以下とモラハラを受けながら約5年間働きました。
賃金は時給600円から1500円まで上がり、モラハラを受けても私は働き続けたかったのですが、心が悲鳴をあげ、それと同時に交通事故にあい、何の通達もないままある日不当解雇を受けました。
これで大学時代のホスト系の彼から受けた疾病と女性との別れによる病状悪化、そしてこの自己愛モラハラ男によるモラハラと不当解雇の結果
居ること生きることそのものが「無」そのものの状態になり現在に至ります。
今私は同居している母親以外と人間関係はありません、しかし、母親との関係「だけ」は非常に良好になりました。
もうこれを一生守っていくつもりです。
毒親の母親との関係が良好になったのは地べたで女性関係や日雇いバイトをしたことによる社会の経験をしたこと、自分の幼さ欲望、未熟さを痛い目にあったことによる平坦化(穏やかになる)ことが理由だと思います。
これが「いい人、八方美人で居続けた人の末路」です。
家庭環境や色々な要因が重なった結果ですがいかがでしたか?
同じようになりたい人はいないと思いますがこのようにならないためには決して「自分に嘘をつく」ことと「八方美人」にはなってはならないということです。